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自己紹介

Taro Otani painting/graphics
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大谷太郎*絵画/グラフィックデザイン

カールスルーエアカデミー卒業後2004年より仕事として絵を描いています。

僕はもともと絵描きになりたくて、留学した訳ではありませんでした。

1979 横浜生まれ

16才の時に高校を休学して、ドイツのミュンヘン近郊にひとりで語学留学に行ったのがその後ドイツに住むきっかけです。 このころは絵描きになるなどとはぜんぜん思ってもみなかったです。いわゆる優等生だから留学したとかでもなく。
普通の毎日を送って、学校に行くのも勉強するのもキライで、何に対しても あまりやる気がなかったので、行き場が見当たらなくなり、なんとなくどっかに 遠くに行きたいというか逃げたいというのが理由でした。
海外もそれまで一度も行った事ないし、勉強もいやだからドイツ語も 英語も一切できずに行きました。あまり日本の外がどんな感じなのか想像もつかなかったので、今思えばなめてたと思います。行って見てはじめて外の世界から日本を見た事がかなりおどろきで、言葉が通じない、伝わらない事が最初とにかく苦痛でした。それまで何となく落ちこぼれ気分でふてくされていたポーズもそういうキャラ設定も違う文化圏では通じなくてすごく戸惑ったのを今もはっきり覚えています。

2年ぐらいの語学留学でしたが、外国の人に初めて「日本人か」って言われて、ああ自分ってそうなんだと、当たり前ですが(笑)それまでの自分の生活にはでてこない事ばかりの、何をしているかよくわからない日々を送りました。ドイツの人に日本で高校を卒業する事を勧められて帰国し高校を卒業して1999年に再びドイツに行く事にしました。

当初は絵画科を受けるつもりではなくて舞台美術をやりたかったのですが。

1999年 アカデミー時代

舞台美術を習いたかったので試験を受けたのですが全部落ちて、住んでいた街のアカデミー・絵画科の試験だけなぜか受かったのでとりあえず入学しました。余り気乗りしないで入ったので、最初はやる気も全然ないし何より美術の事を何も知りませんでした。
いわゆる予備校などで習うようなデッサン技術などもやってきていないから、 アカデミーももよく入れてくれたと思います。 アカデミーに入ってもデッサンの授業とかそういうカリキュラムがあると思っていたのに、授業などはなく、何週かに一度教授がきてアドバイスしておしまい。 コンセプトの話が中心で実技がないのでどうしたらいいか、ただただ困惑したのを覚えています。
ヨーロッパは「進んでいる」からとか、自主性を重んじるからだろうとかなんとか思い込もうとしてみたり迷いましたが無理でした。コンセプトをしゃべっても上手く描けるようにならない。(笑)

平凡な遠近法とか、色相がどうとか、基本の基本が得られないので技術をどこかで身につけたらやめて応用美術に移りたいと考えていました。 その頃たまたま知り合ったギャラリストや、たまたま知り合った住んでいた町の画塾の先生達からの勧めでかなりアカデミックなデッサンを習いました。画塾の先生はチリ出身の先生でした。絵っぽいデッサンの時間にやっと出会えて初めて本気になれたのもその頃からです。アカデミーにそのデッサンを持っていってもアカデミックだという事でなぜか評判が悪かったですが(笑)夢中で描くようになりました。

僕が習った「描くのに必要な技術」というのは、現代美術にはもう必要ないとされているものでした。同時に日本の美大などの入試で見るような和洋折衷のデッサンとも違う。かたちをとるやり方の大事な基礎で何にでも応用できるものです。今もその技術とその頃に覚えた絵の見方に支えられています。自信がないのに生意気な僕に親身になって色々教えてくれた人達は国籍もばらばらで全然言葉の意思疎通ができない先生もいました。だけどいつも「描いて見せて」くれました。絵の一番深いところは「言葉」ではない事を僕はその体験から学びました。

油絵。

2004年 アカデミー卒業

技術を2年ほど習い2002年から住んでいたフライブルクからカールスルーエ に引っ越してマックス・カミンスキー教授のもとで油絵を習いました。 絵の先生でした。彼から「自分の絵」を描く事を学んだと思います。それと 他の師匠からもですが「西洋の真似をしないで日本にもすばらしいものはたくさん あるから大事にしろ」とよく言われたのを覚えています。 カミンスキー教授のもとに移って自己表現をテーマにするまでは 僕は「遅れた技術にこだわるアジア人」という感じで言われる事が多かったです。(笑)

でも教えてもらった技術をもとに日本の事も考えながら自分のかたちを見つける過程で どうしても必要な時間だったと今も考えています。それは自分を新しくしていくために 必要な技術だから色々な事を教えて下さった先生には今も感謝しています。 自己表現をテーマにした2003年から絵をコレクションしてくれる人たちが でてきました。その頃は今からみればアメリカの抽象表現主義風の描き方になんとなく 日本的な雰囲気やモチーフが加える感じの絵を描いていました。 美術館にも通いつめてコローとホルバインとクラナハが好きでした。絵を描くのも 見るのも面白いものだという事をアカデミーの5年で教えてもらった事と、言葉が通じない 国の人でも絵はわかってもらえるという確信を持てた事が一番大きかったです。

ベルリンに引っ越しました。

2006年 制作活動。

2004年から2年ライプツィヒに移ってギャラリーで展示など行いながら 制作活動を行いました。2006年の展覧会の時の絵から今日描いているような 絵のかたちになりました。その年にベルリンに引っ越して家兼アトリエで 絵を描くのに没頭していました。だれにも会わないで何ヶ月か過ぎた事もありました。
現代美術がどうとか色々習った事とか人が言ったあれこれとか全部忘れたいと 思っていたのでひきこもりました。ベルリンにいる意味がない生活でした(笑)だんだん美術の世界とも疎遠になっていったけど「自分の絵」の行方以外 興味がなかったです。

日本に帰る。

2013年 

2010年に経済的にも追い詰まったし「自分の絵」が欧米の美術のありようと ズレていって美術界にも受け皿がなくなり開き直ってネットのオークションで絵を大量に直接販売しました。その頃は街中のアトリエでしたが絵で足の 踏み場がない感じになっていたので 結果的にはちょうどよかったです。 自分で大小合わせて800枚ぐらいの絵を様々な国の人に購入してもらいました。 アカデミー時代の絵のコレクションと合わせると1500枚以上の絵がヨーロッパに あると思います。ネット販売ではたくさん描かなくてはいけなかったので大変でしたが 絵をほしいと思っている人が何を求めているのかそれまで考えもしなかったので いい経験になりました。アトリエを整理しながら自分は日本に帰る時期が来たと思ったので2013年に 帰国しました。

絵を描いています。

2016年 横浜

いろいろあったけど地元で絵を描いています。16才で初めて外国に行った時はとにかく 何でもいいからここじゃない所へ 逃げたいと漠然と思って行きました。どっかに極楽があるみたいな感じで(笑) 今38才です。初めて外国に行ってから20年、結局15年ぐらいドイツにいましたが、今の自分に言えることは どこにいてもどこで生まれて生きても大変だなという事です。どこでもいいとこ いやなとこあるでしょうけど自分の事はどうであれ引き受けてやっていくしかないなと。
自分が外国人になってみる経験は貴重でした。母国語でない言葉でしゃべるのは しんどい(笑)僕は語学好きとかではないし、その都度必要最低限の範囲で通じれば良いという事以外目的はなかった。準備された留学ではなかったから、じかに文化に触れるしかない場面が多かったせいで、向こうがこちらをどう観ているか意識せざるをえなかったです。
そしてどこにも極楽はない事もよくわかりました。自分って日本人なんだ と向こうの人に教えてもらったと思います。僕にとっての「絵の本場」は日本です。 これからは自分が16で逃げだした場所に帰ってそこからやり直したい。じぶんちで「自分の絵」 を描きたいです。

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