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熊谷守一の絵。

Picture of Morikazu Kumagai
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Taro Otani*painting/graphics

2013年に帰国してすぐ熊谷守一の絵を見に行きました。

絵は画集で前から知っていてアカデミーの頃から好きです。
こういう描き方の油絵は西洋で探してもないものです。明治以降の日本のいわゆる「洋画」の多くがその時その時の西洋人のまねを目的にして終わった中で 熊谷は全く独特の表現にたどり着いています。

その当時の状況を想像しても洋画や日本画の区別なく自分の絵を描くというのはすごい事だと思います。ドイツにいた頃アトリエに向こうの美術関係の人が来た時に僕は熊谷の画集を見せる事がありました。

向こうの現代美術のギャラリストやキュレーター、描いてる人もですがまれに美術わかってる人もいるけどまあ多くが近代絵画とか昔の絵などには関心が薄く遠い日本の事情などはほとんど知らなくて、アートバーゼルがどうしたとかだれそれがどこそこの美術館で展示したとかしないとか人間関係の話ばかりになりがちですけど (笑)その時は見せた画集を通して熊谷の絵の斬新さに驚いていましたね。

アカデミー時代の最初の3年は僕も西洋の絵描きに憧れていました。
ジャコメッティの本とか読んでその灰色の乾いたサイボーグみたいな絵を日本人のモデル相手に一心不乱に描いているのに心酔しました。

だけど「見る人」として好きになれても「描く人」としてはどうしても感情移入できないものが残る。心酔したつもりでまねても向こうの人のように自然にのびのびとは描けませんでした。長い歴史を通して習慣としてやってきている事を適当に切り取ってつまみ食いという訳にはいかないものだと知りました。

いくら国際化と言われても僕のドイツ語もそれまでの自分の油絵も所詮はそこで生まれ育ったものじゃない「肉声」の宿らない習い言葉でした。  描くのはなんであれ手で描く他ない訳でそれは西でも東でも原始人の壁画も今37才の僕の絵も同じです。

描けば必ず意識できている事以上の身に付いているものが出てきます。西洋の絵描きのようなジャコメッティのような写実の乾いた感性のものは 日本で育った自分にはない。一時期はやったライプツィヒの一連の絵描きの絵にも同じ事が言えると思います。

個人差だけではない時代が変わっても簡単には変わらないどうにもならない違いがある。まねするために自分の絵の湿度の高い感じや 鮮やかな色好きやのーてんきな感じが出る事を隠したりして生きるのはいやだと思いながらでもどうしたらいいのか長い事迷いっぱなしでした。

迷っていた時に熊谷の絵はいつも救いでした。周りになんと思われようが自分にとって自然なかたちでやればいい。自分にあるものでやればいい。そういう開き直りを教えてもらった気がします。  

欧米のひとにとって「洋画」というのは存在しません。彼らにとっては「絵画 」しかなく新しいか古いかだけです。でも日本のひとにとって西洋絵画は江戸までとは ちがう別世界の文化な訳です。だから「絵画」じゃなく「洋画」なんだと思います。 それで根をはやすのも個性を発揮するのも西洋人がやるより むずかしいに決まってます。  

その事情は今も大きくは変わっていないとおもいます。「洋画」を「現代美術」と呼び直しても描く自分に自意識がなければ欧米を「本場」だと思うのを やめられないからいつまでも後追いになるはずです。それを続けると悲しい思いをする事にきっとなる。

日本のひとにとっては日本が本場でいいはずです。 無理にガイジンぶってわかったフリをしなくてもいい、西洋の絵を追い回すのをやめて開きなおって 「もういいや」となるきっかけを僕にくれたのは熊谷の絵でした。

                               

どこの絵でもいい悪い、好き嫌いを自分で判断していいんだと思うようになると西洋コンプレックスってなくなりました。自分にとって自然なかたちをオモテにだして描くようになりだしてからドイツのひとも僕の絵を集めてくれるようになりましたね。それから少しずつひろがっていきました。不思議なもんだなとおもいます。

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