
コンセプト
絵画 | 1999-2020
1999-2004 欧米式*近現代美術の構造理解と日本式*洋画からの脱出
1999年にアカデミーに入り本格的に油絵をはじめたのは2002年からです。2002-2004年までは美術史を知るという意味で過去の吸収が課題のほとんどでしたが、西洋美術の今日までの中でアメリカの抽象表現主義に寄せた感じの絵を描いていました。すでに描く上で日本の事を意識していたし、周りに求められてもいたので西洋美術の中で、アジア生まれでも言ってしまえば手が出せそうなかたちの絵を探して、単なる西洋の模写のような洋画になってしまわないようにする事がテーマでした。欧米式の基準の枠の中での個性の発揮とある程度「向こうの求める日本」に対応した絵を意識する事になりました。自分のアイデンティティーを確認する作業と欧米式の絵画の考え方、描き方を身につける事を並行して絵を描きました。その頃に描いた油彩画/水彩画の9割は現在ドイツでコレクションされています。
2005-2010 欧米式*現代美術の枠からの脱出とオリジナル絵画の確立
2004年にアカデミーを卒業した段階で僕はマイスターシューラーにはなりませんでした。それより早く 一人で描く生活に入り一度それまでの絵と縁を切りたいと考えました。人に求められる日本や「目新しさ」では なく単純に自分のスタイルの確立がその頃の最大のテーマでした。それまでに吸収するため聞いてきた様々な 事を自分の中から追い出す作業となりました。最後のこった残りかすみたいなわずかな色彩感覚とかたちへのある 感覚だけにしてみたいとそれ以外はなかったですね。
絵画にしかない伝統的な造形感覚を守りながらジャンルとしての必然性、必要性を現代でも確認する事と 絵画にしかない描かれた造形性、色彩といった条件にそって、習慣として身に付いている日本人の感覚を踏まえて これまでにはないパターンで油絵を描く事。概念として美術の定義をモチーフや物語の理解に求めるのではなく、描かれた線や面、 色などの造形として一律に世界中の美術作品を括ったのは近代の西洋であり、僕自身もその定義に沿って世界中の美術は古今東西具象も抽象も造形基準で評価する事ができると考えています。そういう意味では絵画の普遍性を信じる立場です。その基準に沿って エジプト美術も歌麿もコローもすばらしいという事になります。それは自然科学で言うような意味での基準でもなければ 単なる趣向としての好みでもありません。僕にとっては描く、観る経験をもとに積み上げてきて出来てくる他の人と共有することができる「かたちと色への感覚」を信じるという事です。
時事問題を描くとか、その時その時の社会でタブーとされているテーマで描くとか、特定の地域の人でしかわからないモチーフであるとかそういった事では絵を判断しません。先に書いた「かたちと色への感覚」を呼び起こす絵を描くためにこそ自分に身に付いている日本の伝統もとても大事だし、西洋文化に対しても大きな影響を受けた「他者」として敬意をもちつつ、こちらにとってのステータスとして都合のいい解釈ではなく本当の意味での理解も必要だとその頃から考えるようになりました。つまりほめてくれる親のような役割を求めて西洋をみるのをやめていくという事でした。
その上で日本人の造形性にも当然世界中どこにでも通じる価値があるわけですが、それを発揮しようとすれば西洋の基準からもれる事が必ず描いていけば出てきます。向こうの求める、向こうの知っている日本と自分のふるさとが違う。歌麿を評価できる西洋人が 歌麿のように描けるわけではない、日本人が向こうの大家をまねる場合も同じですが。評価能力と実際に作る能力は一致しません。普遍的な絵の描き方というのはない。それぞれの特殊な条件からはじめる以外人間にはやりようがないので、自分にしかない条件で作る事の意味を理解できるのは結局自分しかいないという事になります。 西洋の基準の普遍性を一定に認めつつでも自分が求める鮮やかさや抽象にも具象にも見えるある種のあいまいさ、絵画、デザインなどの区分けの問題などが、向こうでの枠に沿って認められる事より気になりだした時期でした。思った様に望んだように描いて行った結果自分は自分の絵を描いている感覚になっていったけど、ベルリンなどの美術の動向と疎遠になっていきました。
「アートは自由だ」そうですが本当なんだろうか、アートマーケットから絵は商品として制約を受ける訳ですが、そこでされる価値付けは創造の自由や本当の意味での造形的な個性を保証してそれに見合った作品に価値を与えているんだろうか、だんだん疑問になっていったのもその頃です。描き続けてそれなりに修練して自分のかたちを見つける苦労をした人ならだれでも、仮に自分の描き方とかけ離れている作品でも、どんな斬新な絵でも優れているかどうかは説明されずともすぐ気づくと思います。時々描いている側の判断とは随分ズレたものがあるなと(笑)絵以外の要素が大事な場面に出くわして、いい勉強にはなりました。
2011-2012 美術界の枠からの脱出とインターネット
オリジナル絵画を描いていく事を追求しながら2010年まではまだ美術界でだれかが自分を導いてくれるんじゃないかと受け身な期待があったように思います。 でも受け皿はなくなってしまい制作の楽しさとは反対にベルリンでやっていくのが難しくなっていました。それでもコンクールを受けたり奨学金がもらえないか と考えたり、それなりに美術関係の中でやって行く事に望みをつなぎたいと。そこを出ていく勇気はなかったですね。
それでも経済的にやっていくのが難しくなった時、活路を見いだしたのが一般的なネットオークションで絵を売る事でした。売る相手は美術界ではなくドイツの世間というか、いわゆるコレクターの方や絵が好きな人からプレゼントであげたいからという人までいる環境で最初の年2011年などは毎週毎週ボードに油絵、水彩を平均10枚描いて年700枚ほど売ってなんとかつないでいました。それまで覚えてきたアカデミックな絵についての事とは全然違う世間を直接知る良い機会になりました。大変でしたが美術界でとこだわっていた気持ちもかなりそれで壊れたし、たくさんの色んな国の人が買って下さった事で自信にもなりましたね、ホントに。美術界のマーケットなどの大人の事情はともかく(笑)それまで疎外感と被害妄想でいっぱいだった僕にはのびのびとやれて楽しかったです。
まちや電車はその頃からです。その頃も今もですがやっぱり色とかたちが基本です。それはモチーフとは関係がなく描いているこっちは正直何を描いてもかまわないので 物語がモチーフでも別に良くなりました。まちのかたちをした「自分の色とかたち」である限り、別に失うものも困ることもないなと思う様になったのは美術の外との付き合いが深まったからでした。
2013-2015 帰国と日本現代美術とハンドメイドマーケット
2013年の春に帰国してそれまでやって来た事の継続と同時にそれまで以上の自分にとって新しい事を付け足したいと考えてハンドメイドマーケットに参加するようになりました。美術の世界ももちろん大事ですが、やってみてわかった事やそれまでの自分の認識が全然違ったと思った事もたくさんあります。よく海外にいるときでも日本では現代美術は売れないとかいう意見を聞く事があったし、日本でも割とよく聞きます。
その意見に賛成する部分もありますが、そもそも現代美術の設定そのものが日本では新しいから理解されないというより先に書いた通り文化的な歴史的背景の違いに着目せず「なんでこんな事をやっているのかわかんない」感じがするからではないでしょうか。日本人がわかるかどうかはいいから、欧米のマーケットの方がはるかに大きいから日本でまごまごしてないで、みたいな何となく焦った感じで言っているのを聞くと結局追いつき追い越せで相手のペースの中で向こうの2流品を作る事に腐心しなければならなくなるんじゃないかと思います。そうなるとかつての日本の洋画の多くの発想と大差がない。洋画でも日本画でもなく、「日本発のオリジナル絵画」には届かないんではないか。日本の特殊性を踏まえた上での現代性があれば勝手に向こうから気になって来ると思います。むしろこちらのペースに相手を巻き込む方がいいに決まっている。
日本で美術という場合どの範囲を指すのかその設定ですが僕はインスタレーションがとかそういう非絵画ジャンルを組み込むだけではなくそれなら絵画と同じ美術教育や技術が必要な全てのジャンルを入れるべきだと考えます。アクセサリーもデザインもファッション関係も全部いいんではないでしょうか。美術の中で絵は権威で古いとかアートはどうとか言う時の想定範囲にハンドメイドやその他の応用美術は入っていないです。僕は向こうの展覧会で指輪に絵を描いて展示しようとして断られた事があります。「絵か、絵じゃないか」みたいな不毛な議論は他の応用美術も全て美術に入れてしまえばむしろ造形として共通に判断できるものがはっきりしていいのではないでしょうか。その方が概念なんとかとか造形と関係ないものとの関係もはっきりしていいと思いますね。創造の本質はアンチものとは違う。客観的に反抗している様に見える事はあるでしょうが(笑)あくまで増やしたい、豊かにしたい要求であって他を直接否定する事が目的ではないと僕は考えます。
美術の枠の再構築
必要なのは自分に身に付いた伝統や習慣の意識的な理解と、他者として西洋や向こうのマーケットを理解する事と、個性を発揮しやすい美術教育だと思います。個性を発揮するためにはただ描けばいい訳ではなく自分の輪郭がはっきりするための壁になる一般的な技術の他に自分の技術がいると思います。色々な意見があっても結局絵が良ければ日本でもどこでもいけると思います。自分のマーケットを作る事がネットを中心に可能な今日では販売の努力もいると思います。思いますが、それでも絵がだめだと必ず行き詰まると思います。
継続的な制作を可能にするためには長期的な戦略がいるし短絡的な二元論を出る必要があります。美術の世界でありがちなやつですが「売り絵」かそうでないかといった単純な議論があります。売れているのは媚びていて悪い絵で、売れていない絵は真実だという事になるのでしょうが、もし創造的でオリジナリティーがあって売れる絵であってほしいと考える場合はどうなるか。組み合わせは様々です。また絵の重要な基準は造形にあるので、モチーフはありふれているものでもそうでなくても別にいい訳です。無理に刺激的でなくても、平常心でもね(笑)造形は倫理の問題ではない。確かに売れている絵の全部が良くないのはその通りでしょう。でも売れていない絵も全部が良いか。それも言えない。絵の価値の全てをお金ではあらわしきれないという事になります。売れているからいい絵だとは言えない、売れてないからいい絵だとも言えない。そういう問いが出る事自体いずれにしろ描いている人にもお金は重要だと言う事です。そうであれば販売する努力も絵の中身の話とは分けて必要だという事になるでしょうし、経験上本気で描かないと買ってはもらえないです。ホントに。
何より自分自身の基準を持って描く事は当たり前ですが、その上で自由な創作の為にも生活の為にも自分でマーケットを作って売って暮らせればそれがいいと思います。既定のよく当然のように語られる定説はやっぱり一度は疑う必要があります。まだないものを自分が作りたい場合、その善し悪しを知っている人って自分も含めてまあ、いない訳で。
自分の絵を描き、自分のマーケットを作り、そのマーケットが美術界ともハンドメイドともつながっていて美術の範囲を出るものも含めて自分の大きさで切り取ってそれを小さなモデルとしてこれからあり得るひとつのかたちとしてカテゴリーを再構築してみたいと思っています。条件としてはすでに可能だからほっといてもそうなっていくでしょうけど。
美術界での作る側の発言権が大きくなる事を望みます。ものを作るって基本的には楽しい事なのに、なにやらモラルか反モラルかみたいな、わかりやすい一面的な話にすぐなって、造形からすぐズレるのがマジでいやですね〜僕は。
ドイツで自分を育ててくれた師匠はよく「西洋美術は日本に学んでゴッホが出た、ロートレックがでた、クリムトが、シーレが。逆に西洋に学んだ日本人が出てこないのはなぜなんだ」と言っていました。自分はこの再構築と自分のモデルを通して作りかえた球を敬意と感謝を込めて投げ返したいと思います。絵を描く事を続けているうちに僕は文化の価値の絶対性を信じるようになりました。それに興味がない人がいても僕はいっこうにかまいませんが、最初全然興味がなかったやる気のない自分のような人間が、かなり夢中になったのでその気になればだれの楽しみにもなり得るものだと思います。絵には絵にしかない役割があります。時事問題や社会的なテーマを絵で図解してみる事より、感覚を通して個人として言葉の通じない国の人でも通じ合える事を僕は理解しています、経験上。それを可能にする絵を描く為に必要なのはまず自分を理解する事だと思います。自分の事は選べない、与えられたものだからなんとかして引き受けるしかないですね。自分の小ささと限界を引き受ける努力がない限り「個性」は出ない。
全ては「絵のため」です。